July 18, 2006
ヒメクラ部マラソンとプチ同窓会2件掛け持ちしたハードな土曜日
先週の土曜日、またまた晴れ!!!私の晴れ女は梅雨にも負けず記録更新中です。
その日、私は昼から会社の向かいにあるレストランNARISAWAで短大時代の友人とプチ同窓会。
写真は短大時代の友達と。
冬にも集まったメンバーがまた集合した。私以外は全員既婚で子持ちだ。
それぞれ理解ある旦那さまに子供を預けての参加だった。
人生違っても、それぞれ近況を報告しあい大盛り上がりだった。
みんなは子供の成長を話していたが、私は、ヒメクラ部のマラソンと書籍の出版の話。
ちょっと内容はみんなと違っているけれども、今出会った友達ではないので違和感なく盛り上がった。
会計を済ませたところ、たまたまおつりがピッタリ5円。
すかさず、彼女たちは「美木ちゃんごに5円(ご縁)があるよーに!」と私に差し出した。
「これって偶然だから、使わないでお財布にいれときなさいよー」と言われしっかりしまってある。
私はそんな彼女たちに言った。
「ねえー、美木ちゃんの結婚が楽しみだわーとか言っているけどさ、新婦の席って若くて華やかじゃなくちゃいけないから、みんな頑張って老けないように努力してよ。それから、披露宴に留袖禁止ね!!どーしよー、私の友人席が全員留袖だったらー、家紋とか入っちゃって。。。周りからみたら、どんなに私が若づくりしても、新婦相当年いってるねーとかいわれちゃんだよ。もう年いってるけどさー」
そんな私に彼女たちは言った。
「じゃーさ、無理して振袖で行ってあげるよ。でもねー、美木ちゃんがこのままさらに晩婚化していったらさ、私たちの振袖(今でも無理がある)は、どーみても”都はるみ”だと思うよ〜(笑)」ということだった。
振袖姿が、都はるみ!?
そうかー、それは紅白歌合戦とかでないと許されないよね、振袖はあきらめよう。。
そして彼女たちと別れて、私は、今度は高校時代のプチ同窓会へ。
なんと20年ぶりに会う、恩師も来る。
私は、担任の先生と言えば、高校時代に1年と3年、そしてちょっとの期間だったけど部活の顧問もしていたT先生以外は思い出がない。このT先生、ずっと会いたくて会いたくて探していた。
たまたま高校時代の友人がバッタリ先生と会い、連絡先を交換したらしい。
そして、私がマスコミに出ているのを発見し、HPからメールがきて、再会が叶ったというわけだ。
T先生には、職員室に呼び出され、服装や掃除当番の掃除がきちんとなってないとか細かいことで怒られた。
進路指導では、4年生大学(しかも相当高望み)に入学し、雑誌の編集者になってあーなってこーなって、という当時はどう考えても無謀極まりない夢を語り、あまりに現実離れしていて、ちょっとたしなめられたりもした。
T先生は国語の教師。教え子が本を出したのだ、喜んでもらおうと持っていった。
そして、当日私以外に2人の女友達が集まった。
その2人とは高校の卒業旅行に行った仲だ。今、全員が独身、一人は世界を行き来する語学堪能なキャリアウーマンに、もう一人は書籍の編集者になっていた。
先生はひとこと。
「おまえら、通称で仕事しているんじゃなくて、本当に苗字が変わってないのか??」
「すいません、戸籍もそのままです(笑)」
まったく、と呆れていた。
そんなことより、先生が私と再会して一番頭を抱え、おまえ大丈夫なのか?と言ったのは、マラソンのこと。私は、本当に、みんなが記憶しているなかでは、ものすごい運動音痴で体力のない子であった。
部活の顧問だったT先生は、いかに私がすぐバテるかを知っている。
「できそうにないことを、宣言してどーするんだ!!」と昔のように注意された。それも懐かしい(笑)
友人たちは、実はホノルルマラソンを完走したことがあり、一人は元陸上部だ。
「大丈夫〜?美木? でも頑張るっていっているんだから応援するからね!」と言ってくれた。
先生は、全然変わっていなくて、いろいろなことを話したが、全部ホームルームの時間にようだった。
大人になって先生の話を聞いてみると、高校時代に聞いたのとはまた違う感覚で素直に聞ける。
やっぱりT先生は、私の恩師の中で一番の先生だ。
マラソン頑張って、また報告しにいこーっと。
投稿者 ohji_jp : July 18, 2006 07:16 PM
